【感想】NHKドラマ・岸辺露伴は動かない【ドラマ】
富豪村
土地を買った人がお金持ちになるという場所に岸辺露伴と彼の担当編集者が取材に行く話。土地を売却する条件としてマナーが試される。いろいろ細かいマナーが出てくるけど、一番のマナーは人に恥をかかせないことで、一番のマナー違反はその場でマナー違反を指摘することだと皮肉ったところがよかった。マナー違反を指摘する人は、違反者を人前で叱責することが多いので気持ちよかった。昔ラーメン屋の厨房、客から見えるところで上司らしき人が部下のミスを指摘している場面を思い出した。
くしゃがら
明確な理由なく出版社の禁止用語になっている「くしゃがら」という言葉に振り回される話。一つのことにこだわりすぎると人は狂っていくんだと思った。そして世の中には触れなくていいことがあるのではと思った。
D・N・A
いつも目の前で事故が起こる子どもの謎を探る話。子どもの変わった言動をどうにか隠そうとする親の気持ちはわかるがそれを個性だと認めてあげるのが親の役割だと思った。多くの人が親の思う普通に当てはめられて育ったんだと思うとちょっと残念に思う。
【感想】うどんの国の金色蹴鞠【アニメ】
父親の死をきっかけに東京から香川の実家に戻ってきた主人公が人間の子どもに化けられるたぬきを拾って子育てをする話。久しぶりにほのぼのしたアニメを見た。返ってくる場所があることのありがたさと、親に対するありがたさと後悔を自分が親になってから気づくんだろうなということを観て思った。中島という主人公の幼馴染が出てくるが、大人になっても、学生時代のように遊べる友人がいるというのはすごく幸せなことだと思った。主人公には姉がいるが、姉も主人公を尊重する人でいいなと思った。主人公が子育てを通じて、自分の親や過去を思い出し、今の自分に還元しようとすることが多く、人っていいな、囲っていいなと思った。多感な時期に選択したことは、自分の本当の想いだけでなく、親や社会に反発して形成されたもので、そこで形成されたもので生活するのもまた、人生だけど、そこかた本来いた場所へ戻ることもまた人生だと思った。もしこっちを選択していたらとたまに思うこともあるけど、なんだかんだ今幸せを実感できるならそれでいいのかなと思う。こういうほのぼのしたアニメにつきものだけど、主人公がちゃんとした人だからこそ、周りの人も人を尊重できる良い大人が多く、見ていてしんどくならない。
初めて聖地巡礼をする
自分の人生で聖地巡礼をするとは思わなかった。ただしたくてたまらなかった。
場所は、仙台。
目的は『ハイキュー』
さすが「ハイキュー」の舞台として有名なだけあって受付の方の案内がスムーズだった。
受付の方がハイキューを観たことがあるのかわからないけど、喋ったとき、ツッキーと言っていて、なんだか嬉しかった。
他にも描かれている場所はあったけど、テンション上がって写真を撮るの忘れていた。
聖地巡礼は楽しい。
また、行ってからジョジョの聖地であることを思い出して調べてみたら、ジョジョ立ちっぽい像と「むかでや」のモデルがあったので行ってみた。
生まれて初めて聖地巡礼をしたけど、こんなにテンションの上がるものだとは思わなかった。純粋に楽しかった。
『ハイキュー』肩の力を抜くことに成功した昼神の話
※ネタバレを含みます。
ハイキューという漫画のライバル校の一つ、鴎台高校に“不動の昼神”と呼ばれるブロックの名手がいる。
ハイキュー351話で周りから冷静と褒められた彼は、肩の抜き方を覚えたと言いここから彼の回想へと入ります。
彼はいわゆるバレー一家に生まれ家族も名門校の出身で、彼自身もバレーに打ち込んでいました。
完璧主義で、ミスを許さない彼はひたすら努力しました。
あるとき大会が目前に控えてるのにレシーブがうまくないことを自分の右手のせいだと血が出るまでコンクリートで削ってしまいます。
そこを当時2軍にいた星海光来にとめられて、そのときに彼から出た言葉が、「バレーが好きではないかもしれない」という涙ながらの告白でした。
それを聞いた星海は「じゃあバレー辞めればいいんじゃないと」言いました。
もし辞めたとしても、今まで培ってきたものは消えないと
そして僕個人が読んでて一番刺さったのは「今はおなか一杯なのかもな」です。
あれだけストイックにやってきたことでインプットの限界を迎えたのかなと思います。
その言葉をうけて、実はいつでも辞めれるんだなと思った彼は、視界が広がり今の実績と冷静と言われる人物になっていきます。
さて今回昼神の過去が出てきましたが、現実にもこうなってしまっている人はいるんじゃないでしょうか?
一つのことに集中しすぎて周りが見えなくなってしまっていたり、完璧を求めてしまっている人が。
僕もその一人で、完璧を目指しすぎて逆に自分を傷つけてしまい、いよいよやばいって段階になるまで行ってしまった経験があります。
人それぞれなので一概には言えませんが、頑張れる人はすごく頑張ります。ただそれが無理をしているのであれば、いつか自分を傷つけてしまうかもしれません。
頑張る人はいつの間にか、視野が狭くなってしまい、周りにも、自分の状況にも。
それしかない。そこにしか自分の居場所がないと思ってしまうから。
ですが、もしかしたらそんなことはないのかもしれません。
自分で決めつけているだけで、居場所は至る所にあるし、そこから逃げちゃだめということはないです。
自分の限界を更新することは美徳かもしれませんが、それ以上に自分が一番大事だと思わせてくれました
僕らは伝説の剣に憧れすぎた【『スターウォーズ 最後のジェダイ』を観て】
昔から映画を観よう観ようと思って結局観ないということを繰り返してせっかくの名作を観る機会を失っていたなと思い、今は出来るだけ観たいと思った映画や漫画は観るようにしています。
そん中つい最近観たのが、『スターウォーズ 最後のジェダイ』です。
賛否あるみたいなのですが、僕個人的には楽しくみることができました。ただ全部の映画に共通することですが、人が死んでいくシーンはいつも心が痛くなります。
映画についていろいろ感想を言うのは楽しいのですが、それは別の機会にして今回は、この映画を見て個人的に感じて学んだことを書いていこうと思います。
本作の主人公であるレイが真実を求めて鏡のような場所に行きます。その場所へ来た時、彼女が「ここに来れば何かがわかると思った」と言ったんです。
これを聞いた時、子供向けの作品ならここで何かが劇的に変わるのかなって思いました。
僕が子供の頃観た作品は、どこかの場所にたどり着くと、劇的に物事に変化を起こしたり、何か道具を手に入れられれば、急に強くなるようなものが多かったように思います。
勇者が伝説の剣を持てば魔王に勝てるといった感じです。
ですが、レイがその場所に立ったとしても、特に自分の求めているものを見つける変化を起こしてはくれなかったんです。
そういうところが、現実的だなと思いました。
僕らはもついつい現状を変えたいと思った時、それがあれば確実に変わるのにっていうものを探してしまいがちだと思うんです。
難解な資格とか、専門スキルとか、優秀な部下とか、人脈とか、
それさえ手に入れば現状を変えることができると思い込んでしまいます。
だからそれを必死に探すし、手に入れようとします。
まあ子供の頃憧れたアニメや特撮がだいたい劇的なことによって、パワーアップしていくものが多かったので、そう思ってしまうのも無理はないのかなと思います。
単純にかっこいいし、みてるだけなら楽だなって思っちゃいます。
でも現実は劇的に何かが起こることは稀です。
だけど僕らはそんな伝説の剣を求めすぎているのではないでしょうか?または伝説の剣に幻想を抱きすぎているのではないでしょうか?
例えば、大企業に就職するもそうだし、起業したいっていうのもそう。資格取得もそう。もちろんすごいことなんですが、それさえあればって思いすぎている気がします。
でも実際そんなことはないわけです。資格を取ったから何かが劇的に変わるわけでもないし、起業したから急にお金持ちになるわけでもない。
伝説の剣持ってても本人のステータス低かったら、扱えないし、むしろ邪魔じゃないですか。
あと実際外から見たら劇的に見えても、本人からすればあくまで日頃登ってきた階段を一段登っただけだったりするわけです。
ニュートンが落ちたりんごを見てって話も、一般人が見たら、りんご落ちたわってなるだけなんですよ。
だから最初から劇的に何かを変えようと思わなくていいと思います。
何か今やっているものを続けたり、小さなことから始めたりして、徐々に登ってくのが結果的に良い結果に繋がるんじゃないでしょうか?
その過程で一気にうまく出来るようになったなってことがあったら、いままで一歩一歩だったのが10歩ぐらい進んだ気がして、それを劇的と呼ぶんだと思います。
なので、0から100生み出そうとしないで、まず1やってみるといいと思います。
間違っても外の何かに、最初から劇的な変化を起こしてもらおうと思っちゃいけないです。それはあったらラッキーぐらいに思っておくのがちょうどいいです。
というのが、『スターウォーズ 最後のジェダイ』を見た感想です。
劇的になのかが変わるっていうのを外にある伝説の剣に期待しちゃいけないなという、自分自身へ教訓にもなる作品でした。
ただ僕はフォースカッコいいなとずっと思ってます。使いたい。